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Interaction in Life

その他

大澤 悟(作者/代表者)

情報科学芸術大学院大学

審査員・評価員コメント

作者は身の回りの家電製品などの「動き」が全てある目的のための「動き」であることから、この作品の「目的のない動き」のデザインへと至ったと述べている。でも、本当に目的や意味のない「動き」があるだろうか?作者はそうした「目的のない動き」に「可能性を感じ」、「存在目的から解放されて生み出された動きは、人を惹きつけ、人を驚かせ、あるいは人に愛着を持たせた。」と述べている。つまり、「人を惹きつけ」たり、「驚かせ」たり、「愛着をもたせ」るような効果を生み出している。そう、実のところとても「目的」に対してきちんと「効果」を生み出している。けれど、同時にそれらが一見「目的のない動き」に見えてしまうということも事実なのだと思う。なぜなら僕らの身の回りの家電製品にこうした動きをするものはないからだ。では、僕ら自身はどうだろうか?友人と話しているときに大げさに身振り手振りを交えてみたり、笑ったり怒ったり、おどけてみせたりするだろ。つまり、この「動き」はコミュニケーションのための動きだ。コミュニケーションは目に見える機能や効果ではない。ゆえに見逃してしまうこともあるのだろう。それに、コミュニケーションは常に一種の賭けになっている。伝えようとするその意味内容が、相手にきちんと伝わったかは伝えた後にしかわからないし、それは常に相手のリアクションからしか推し量れない。本当に意味が伝わったかどうかは相手の頭の中を覗いてみることができないから、真の意味ではわかることができない。極端に言えば相手に魂があるかどうかすら知ることができない。とても曖昧なものだ。だからこそ、そのリアクション、動きが重要なのだろう。それはそこに魂があることの表現だし、逆に、そうした動きの持続、蓄積でしか我々は魂の存在を証明できない。

谷口 暁彦


たとえば、片切スイッチの動きなどは本当にどうでもよく、ちょっとやそっとのことではそこに目的を見いだせそうもないが、一方でティッシュボックスや植木鉢の動きなどは、見方によっては便利な機能の萌芽として見なせそうな気がする。つまり後者においては、目的から開放された動きを探求しようとした結果、また別の目的へと吸い寄せられようとしているということだろう。いずれにせよ、作者の試みがこのように真逆の結果に二分されているように見えるのがこのプロジェクトの面白いところで、今後もこのプロジェクトを展開して数多くの動きのバリエーションを見てみたいと思うし、とくに目的から開放された純粋な動きというものが存在するのか、その極限の状態を見てみたいと思った。

渡邉 朋也